社長の戯言 ~ぎりのちち~
自分がSMGRの頃、前確をしているときに「申込者様と契約者様の関係性はなんですか?」と聞いたら「義理の父です」と言われ、パソコンに「ぎりのちち」と入れようとしたら「ぎりのおちち」と入れてしまい「義理のお乳」と変換されて、笑いをこらえるために1分ほどミュートにしてしまった社長です。
義理の乳ってどんな乳やねん。
すいません2回続けての下ネタ入りでしたが、前回の内容が思ったよりウケててちょっと調子に乗っています。
もはやみんなのためになる話を書くために始めたのに、みんながどうやったら食いつくかを考え始めている状況に、「売れるために曲を作るってこういうことなんだな」と音楽に置き換えて考えていますが、人生ってなかなか深いですね。
さて、なんかもうなにがみんなの為になるかもわからなくなってきたので、とりあえず私が東京に出てきてから今に至るまでについてツラツラと書いてみようと思います。
もういまから12年前、2010年に上京してきた私。
最初は言った通り全財産3万円とギターだけ背負ってこっちにきたわけですが、一番最初の仕事はコールセンターではありません。
実は東京に来る1ヶ月ほど前にも一度視察に東京に来て、働く場所とどの辺に住むかを考えにきたんです。その時は音楽スタジオで働こうと思ってたので、新宿にあるスタジオに手あたり次第出向いて、「関西から来ました!僕を雇ってください!とアポなしで突撃してました。
まぁどこのスタジオも「なんか変なやつきた」という反応で「今責任者がいないので、、」とアプローチNGばかりでしたが、スタジオペンタというところが「君面白いね、うちで面倒見てあげるよ」と雇ってくれることに。
んで実際上京してからスタジオで主に夜勤として働いていたんですが、なんせ全財産3万円なので、昼は日雇いの仕事、夜はスタジオ夜勤という一日16時間労働を繰り返していたのと、合間にライブハウスに足を運んだりメンバー探しをしていたこともあり、3日ほど寝てない日が続き、スタジオ夜勤中に限界が来て意識を失う。
気づいたら2時間ほど眠っていたようで、上司にたたき起こされ、「お前何してんの?もう明日から来なくていいよ」とクビになりました。
そう、社長も仕事首クビなったことあるんですよ。しかも2回。
もう1回のほうはちょっとヘビーなのでまた別の機会に書きますね。
そんなこんなで再度仕事を探すことになった私が出会ったのがコールセンターなのでした。
ちなみにまた話が脱線するんだが、私今まで本当にいろんな仕事をやってきました。
なか卯から始まり、コールセンター、焼き鳥屋、お好み焼き屋、イタリアンレストラン、サンマルク、アート引越センター、JCOM、お菓子工場、キューピー工場、飛び込み訪販、音楽スタジオ、チケットもぎり、、、
派遣の仕事も入れるともう数えきれないやってきた仕事の中で、ヤバイ仕事(合法ダヨ)や何の仕事?っていう謎の仕事があったりするわけです。
一番「この仕事ヤバイな」と思ったのは、「3千円払うと3万円お得になるチケット」を売ってたこと。もう意味が分からないですよね。3千円で3万円お得。もはや怪しさしかない。
神戸の会社だったんですが、毎日スーパーハイテンションの締め直しから始まるんですね。
「みんなー!おはようー!!!今日も元気かな!!??いいね!!さぁ今日は金曜日!!!金曜日の金は、お金の金!!今日もガッポリ稼ぎましょうー!!!イエーイ!!」みたいな朝礼が毎日あって、とりあえず地図だけ渡されて「さぁ湯浅君はこの地域の人に幸せを届けよう!!」と言われ見送られるんですが、その場所がまた神戸から40km離れた加古川というド田舎。しかも交通費は実費。
トークマニュアルもなく、「とりあえずピンポン押して、『近くに新しくできたお店のものですー!』って言って、出てきたら3千円でこれ買ってくださいって言えばいいから!」という死ぬほど雑な説明だけ受けて営業活動をスタート。
んで何が一番怖いって、これが1日3枚くらいは売れるんですよね。私の場合は奥様がなんか気に入って買ってくれるケースがほとんどでしたが、もはや何を売ってるのかもよくわからないし1枚売れてもフルコミで1500円しか貰えないし、これはきついと思って辞めました。
みんな、俺が言うのもなんだけど君たちは恵まれてる環境にいると思うぞ。
すいませんまた話が脱線しすぎて全く社長になるまでのお話にたどり着きませんでした。
また脱線しながら、頑張って社長になるまでたどり着けるよう尽力します。